2022.01.12 K.Y(40代男性)
私は未信者の家庭で育ち、特に神様のことを知らないまま就職し社会人となりました。
社会人となり、最初の研修期間が慌ただしく過ぎ、どこの部署に行くか配属が決まって本格的に仕事が始まりました。
当初から出張が多く、ホテルに泊まる機会が多かったのですが、大体ホテルの部屋には聖書が置いてあります。最初のころは珍しくて手に取ったりもしたのですが、おそらく新約聖書のみでマタイの福音書から始まるところ、イエス様につながる系図が書かれていて、見た瞬間にこれは読むものではないと思いすぐに元にもどしました。イエス様を知らない間はそんな感じだったことを覚えています。
さて、当時出張以外の時はよく同期と一緒に社食でお昼を食べていました。ある日の社食で急にその同期の一人から晩御飯を食べる集まりがあるとのお誘いを受けました。飲み会ではなく晩御飯?というちょっと不思議さはあったのですが、ちょうど都合もついたため行ってみることにしました。
これが家の教会でした。当時教会のある高田馬場の近くに住んでいたファミリーの家にお邪魔したのですが、事前にあまり話を聞いていなかったので普通の一般家庭に招かれたこと、そして玄関の靴の量にビックリしました。その時は全部で10人近く集まっていたと思いますが、一般家庭にそれだけの人数が集まっていること、そしてその場所がとても暖かく感じたことが印象的でした。
当時はほかの仲の良い同期と時々飲み会に行っていたりして、そこも非常に楽しかったのですが、そういったものとは全く違った温かさがあり当時の自分にとってはとても不思議な空間でした。当時もそのなかで聖書の話をしていたと思いますが、その話は実はあまり残っておらず、不思議な居心地のよい、晩御飯を食べられる場所ということで参加していました。
数回通ううちに、教会での礼拝に誘われました。それが初めて行った教会でした。教会のイメージというと礼拝堂で静かに讃美歌をささげるイメージがあったのですが、行ってみると建物は教会らしくなく、中にいた方々も家の教会と同じように明るく優しい方々でした。
教会がパワフルだったので戸惑いもありましたが、なぜ教会にいる人たちが他の人と違うのかと思うようになりました。そこで聖書を学ぶうちに、ここに書かれていることは間違いない、このイエスキリストの十字架を信じることで変わるのだと思い、信じる決心をしました。
実際それから教会に通って様々な学びを受ける中で神様や聖書のことを深く知ることができ、またたくさんの恵みを体験することができました。特に、社会で生活する中で神様が助けて下さる、自分ですべてを負う必要がないということは非常に大きな心の支えとなりました。また主はいま私の家を家の教会として人々を招くようにして下さっています。今も恵みをいただき続けていることに感謝します。
最後に御言葉を一か所お読みします。
「あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまっているなら、何でも欲しいものを求めなさい。そうすれば、それはかなえられます。」(ヨハネ15:7)