塩狩峠を読んで

2022.01.12 木下滋雄

塩狩峠、その名に出会ったのは浪人中だった。鉄道が好きで北海道の鉄道の本を読んでいたら、この場所での出来事を三浦綾子さんが書いていると出ていた。それで鉄道の話なら面白そうだと手に取ってみた。ところがそれはイエス・キリストの話だった。僕の叔父は最後は東京神学大学の学長までした有名な学者であったし、幼稚園も教会付属の所に行っていたのでキリスト教に昔から興味はあったが、何をどう信じているのか誰も教えてくれる人はいなかった。

「キリストは他ならぬあなたの罪の罰を背負って十字架で死んで下さったのだ」と本には書いてあった。鉄道員である主人公の永野信夫はそれを信じ、最後に暴走した客車を止めようと自らの身体を車輪の下敷きにして乗客の命を救った。それはとてもいい話だった。そんな立派な人になりたいと思い、教会に行ってみようと思った。

しかしその時は、頭で分かってもまだ心では分かっていなかった。その約3ヶ月後、祖母と父が相次いで亡くなった。僕は祖母が大嫌いだった。可愛がってくれていたが、高校生なのに3才の子を扱うかのようでうざったくて仕方なく、だんだん居なくなってくれたらどんなにせいせいするだろうと思うようになっていった。僕は自分が正しいと思っていた。憎しみも人間の当然の感情だと思っていた。

だが、実際に死んで横たわる祖母を見たとき、悲しくて仕方なかった。僕は祖母に死んで欲しいと思っていた事を許してほしいと言いたかったが、もう通じない。その時「塩狩峠」にあったキリストが十字架上で祈った言葉を思い出した。キリストは自分を殺そうとしている人達に対して「神様、この人達を赦してください」と祈った。あ、この神様は僕を許して下さるのだと思った。

僕は救われるために何かしなければいけないのだったら、救われることはないと思う。どんなに努力してよい人だと言われたとしても僕の心には汚いものがあるのだと自分でわかるからだ。ただ信じればよいことに感謝です。