罪からの解放

酒

2022.01.09 C.Sさん(20代女性)

 一年前、私は、とても精神的に不安定な状態にあり、それを紛らわすことに必死になっていました。その一番の方法はお酒を飲むことで、ほとんど毎日二日酔いのような状態になっていました。また、昔から嫌いだったタバコもいつの間にか手放せなくなり、飲んでいる途中でお酒がなくなったり、たばこがなくなったりするとパニックになってしまうので、家には大量のストックがありました。その時の私にとって一番怖いことは、酔いからさめることでした。そんな状況を見兼ねた友人から「自分を大切に」と言われることもありました。しかし、自分を大切にするとはどういうことなのかわからず、そんなことはきれいごとだと思っていました。

 それは、洗礼を受けてからもしばらく続いていましたが、ある時、御言葉が与えられました。

イザヤ書59:12

まことに、私たちの背きは私たちとともにあり、私たちは自分の咎をよく知っている。

 この御言葉を読んで、ハッとさせられました。この時、まだ罪というのがよく分からないつもりでいたのですが、それは、自分が罪と向き合いたくない、逃げたいという思いからであって、本当はわかっているのだということを突き付けられたように思いました。

 それから、お酒やたばこを買おうとする時、また口にしようとする時、この御言葉(私たちは自分の咎をよく知っている)が頭をよぎるようになりました。当時、自分の感覚としては、お酒もたばこも、ただの日常で大したことではないと思っていました。しかし、御言葉が思い出されるたびに、自分がなぜそれがないとだめになってしまったのかを考えるようになりました。頼れるものがほしいけれど、人には迷惑をかけてはいけないと言うくだらないプライドから、妥協的にお酒やたばこに依存していたのだと気づきました。

 そして、それを御前に持って行き祈った時、神様は、その綱渡りのような依存状態から私を助けるために罪を示して御言葉を思い起こさせてくださっているのだと教えられました。お酒もたばこも、それがないと生きていけないとずっと思っていました。しかし、それは恐怖とセットであって何の安心もありませんでした。しかし、本当は無理をしているだけで何かに頼りたい、自分一人では頑張れないということを認めた時に、不思議な安堵感が起こりました。

 それでも、現実では色々な問題があり、頑張らなければならないと思っていたのですが、主は働きかけてくださり、逃げたい直視したくないと思っていた現実も変えてくださいました。そこで、気持ちの面だけの安心だけではなく、事実として実際に私はもう一人ではない、現実に介入してくださる方が共にいるのだということを知りました。

 気づくと、お酒を飲んでも、酔いがさめることへの焦燥感がなくなり、自分でコントロールできるようになり、たばこもいつの間にかやめられていました。まだ時々は、戻りそうになることもありますが、その度に御言葉と御わざが与えられて、主の愛に立ちかえることができています。(イザヤ62:4「あなたはもう『見捨てられた』と言われず、『荒れ果てている』とは言われない。」)最近は、神様に大切にしていただいたことで、もう、自分を大切にした方がいいと言われることもなくなりました。