事件を通して導かれた救い

2022.01.09 T.T(50代男性)

 私が初めて教会に導かれたのは、ちょうど1年前のクリスマス礼拝でした。あるクリスチャンの姉妹との出来事を通して教会に通うようになりました。

 教会に導かれる以前の私の状態は、心身ともに疲れ果て、人間関係でのストレスやさまざまな不安により仕事に行くにも憂鬱な日が続いていました。ストレスから家族に愚痴を言ったりして、家庭内も必ずしも平穏であったとは言い切れない状態でした。今になって、写真を見返すと、目には光が乏しく笑顔が少なかったと思います。

 教会に通うようになり、さまざまな聖書の教えや、色々な方々との出会いを通して心身ともに良い状態に戻ってきて、笑顔とともに目に光が戻ってきたのを実感しています。また、日常のどんなに小さなことにも感謝出来ること、また感謝を数えて生きることの喜びを実感しています。教会に集う方々の目には輝きがあり、喜びに満ちあふれ賛美している姿の上には神様のご臨在があるのだと感じました。

 私が、神様をより、信じるようになったきっかけを証ししたいと思います。ある夢を見ました。夢の中で示されたことは、以前の私が犯してきた罪だったのです。一時期はギャンブルに浸り、教会に通う前は、毎晩のようにお酒を大量に飲んでいました。夢の中では、ジェットコースターにのる夢と、嵐が過ぎ去ったような何もない荒野の地がでてきました。夢の最後には、何もない荒れ地に、何かの種が小さな芽を出しているのを眺めている自分の姿がありました。そこで目が覚めたのです。

 夢の中で私に神様から語られたことは、今までの私の罪がすべて流され、新たな地にまかれた種が芽を出しつつある、ということなのだと感じました。

 以上が夢の証しです。

 聖書を読む中で好きな御言葉があります。

ヨハネの福音書3章16節

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。

第一ヨハネ4章11節

愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた、互いに愛し合うべきです。

 これからも、日々、つらい時も、不安な時も、感謝を数えて生き、神様を見上げて歩んでいきたいと思います。第一ヨハネ4章:16節より、「神は愛です」

 神様から受けたあふれる愛を、多くの人に分かち合い、これからの人生を歩んでいきたいと思います。

 今日、こうして洗礼を受ける栄光にあずかりとても感謝しています。

 私に神様のことを宣べ伝え、洗礼に導いていただきありがとうございます。